こんにちは、藤本モウフです。
私は現在、資産運用と貯蓄だけで生活をしているわけですが、この平穏な生活がいつまで続くかはわかりません。
まあ立ち行かなくなったら働けばいいし、万が一のときは生活保護という手もあります。
日本に生まれて本当にラッキー。
しかし、できればどちらも選択したくない。
それだったら超清貧生活も厭わない。
清貧。
なんていい言葉なんでしょう。
もしリュークみたいのが現れて自分の寿命を知ることができたら、私は迷わず教えてもらうだろう。
終わりが見えたら自ずとやることが絞られる気がします。
なんだかんだで80過ぎまで生きるだろう、なんて漠然と思っていますが、本当は60でゲームオーバーかもしれません。
長生きするのは標準体型の人よりむしろ小太りの人らしい。
そして、太っている人よりも痩せてる人の方が死亡リスクは高いとのこと。
私は痩せ気味体型なので死亡リスクが高い層です。
人生の中で標準体重に達したこともないので、生まれつき長生きの素質がないのかも?
あくまでも統計上の話ですべてが当てはまるわけではないし、実際、祖父の妹はずっと痩せているけど90過ぎても元気。
どうなんだろう。
長生きしちゃうのかなぁ。
長生きしてもなぁ…
私は健康にはかなり気をつけていますが、それは生きている間は苦痛なく楽しく過ごしたいからであって、長生きしたいからというわけではない。
生に対する執着もあまりなく、明日の朝目が覚めなくてもまぁいいかと思っています。
すぐ発見してもらうためにどうすればいいのか、それがおひとりさまの課題です。
今は時間に余裕があるし、人生の折り返し地点も過ぎたので、死について考えることが多くなりました。
私の父はがんになり、自宅で最期を迎えました。
再発したときはもう手の施しようがなく、生きる時間を多少延ばすためだけの抗がん剤治療に苦しみ、「もうつらいのは嫌だ」と、緩和医療に切り替えました。
それからは痛みや苦しさをうったえることもまったくなく、本当に穏やかにいきました。
緩和医療の先生からは「痛みは必ず出てくるから強めの医療麻薬を出します。症状が出たら躊躇せずに使って下さい。」と薬を処方されていましたが、それを使うことはありませんでした。
「どこか痛くない?苦しくない?」と聞いても「どこも痛くも痒くもない。苦しくもない。ただ眠い。」
話せる間はそう言っていました。
父は風邪を引いただけでも大げさに苦しがり、痛みにも弱い人だったので今でも不思議です。
ベテランの先生も驚いていました。
この世でやりたいことを全てやり尽くし、自分の死を受け入れ、いくべきタイミングでいく。
こういう人の最期は苦痛を感じないものなのかもしれないな。
そんな父の終末期を見守り、死を怖いものと感じなくなりました。
あ、思い出した。
緩和医療に切り替えてから、父は頻繁に幻覚を見るようになっていたんですよ。
犬や猫がジッと空(くう)を見ることがありますが、あんなかんじで一点を見つめていることがありました。
そしてとつぜん、
「叔父さん(だいぶ前になくなっている父の叔父)が来てたけど、今どこの部屋にいる?」
「(部屋の隅を指さして)そこに立っている人は誰だ?ほら、黒い服着た人」
「さっき、目が一つしかない牛がそこにいたけど、なんだ?」
医者が言うには「せん妄」っていうもんらしい。
そうか、そう言われたらそうかもしれないが。
父には私らが見えない何かが見えていたのかもな、と思ったりもします。
知らんけどー。
誰がなんと言おうとやりたいことしかやらなかった父の生き方は、家族に迷惑をかけまくっていましたが、過ぎてしまえばいい思い出です。
今では笑い話だし。
まあ、人に迷惑をかけないなんて絶対に無理だしなぁ。
そんな父の生き方を見習い、この体と命を使い込みたいと思います。
あと、相続手続きがけっこう大変だったので、なるべく必要な情報を整理しておこうと思います。
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
では、また次回。